クラブ概要

船橋ロータリークラブについて

 1955年(昭和30年)9月13日千葉ロータリークラブをスポンサーとし、同クラブの会長を特別代表とし、会長以下20名で、千葉銀行船橋支店会議室にて創立総会を開催し、船橋ロータリークラブがスタートした。
同年10月3日、日本ロータリー161番、2790地区4番目のクラブとして、R.I.より認証された。
 以降、地域社会奉仕活動、米山奨学生の受け入れなどを続けている。主な活動としては、2005年創立50周年記念行事としてカンボジアのスコラ小学校建設事業をおこなった。そして、2015年9月13日に創立60周年、2016年3月29日に3000回例会を経て、現在に至っている。

バナーの由来


 
 むかし、日本武尊がご東征の折、舟をつないで橋をつくってお渡ししたので“ふなばし”の地名ができたという伝説がある。
それに因んで国宝の本阿弥光悦作「舟橋之図」硯箱をモチーフにした。
 この硯箱は桃山時代の傑作で、伊勢物語の一節を金蒔絵に鉛の板を使ったりした卓越な意匠のもので、現在は上野の国立博物館に蔵されている。
              (故清川直道チャーターメンバー)

歴代のバナー

        初代 椿 貞雄 作            二代目 右島四郎 作


 初代バナーは、チャーターメンバーの故椿貞雄先生が描き、二代目は1958年から同じくチャーターメンバーの故右島四郎先生が描いた。ともにそのモチーフは蟹で肉筆である。右島四郎先生は当クラブ創立15周年記念誌でバナーの由来を次のように記している。「1955年秋発足したとき、どこでもがそうであるように、このクラブもバナーには随分苦労した。結局、創立会員の一人で、国画会の重鎮であった椿貞雄画伯が奉仕されることになり、図柄はかつての名物の味を忘れかねて『蟹』ときまった。船橋は東京湾の1番奥にあって、近ごろ工業化が急速に進み、浅海漁業はほとんど絶滅に近い状態となり、人口もやがて40万にもなろうとする近代都市に変わりつつあるが、昔は内湾特有の『海の幸』の非常に美味しいところであった。さて、原図ができたが、捺染では青墨の味がどうしても出ないというので、一枚一枚描くことにして、世界中でも珍しい肉筆のバナーとなり、内外の好評を博したが、残念なことに1958年、同画伯は急逝された。止むなくその後を、趣きは全然違うが、私が引き継いで描くことにして今日におよんだ。」
椿先生と親交が深く、当クラブ創立30周年記念誌の表紙となった現在のバナーを考案した故清川尚道先生は、生前、「私は医学界で北は札幌から南は鹿児島に行った時、たまたまロータリーの例会に出てバナーを贈呈するとめずらしがられて説明を頼まれて得意でした。」と蟹のバナーについて良く話されていたとのこと。また、清川先生のご令嬢は、学生時代にR.I.世界本部に椿先生が描かれたバナーを贈呈しに行き、そこでスピーチをされた思い出があるとのことである。
                             (船橋ロータリークラブ50周年記念誌より抜粋)